移民とその暮らし 2
ライ嬢の話では、植民地からは次の様な申し入れが最も多かったそうです。
「協会の保護を受けている女性に移住を勧め、妻を求めている男性、家庭教師を必要としている母親の下に派遣して下さい。
商店主も、学校も、病人も、協会のご努力に対しては心から感謝の意を表明し、派遣される女性を暖かく歓迎致します」。
召し使いの仕事に近い職業に就いた場合に限り、女性家庭教師達はイングランドの水準よりはるかにたくさんの収入を得ることができました。
次の手紙は、ある女性が1864年、実家に宛てて書いたものです。
「イングランドにいた頃、私のお給料は家庭教師相場の3分の1か4分の1程度でした。
(ついつい、見栄をはって半分と言いそうになりましたが)オーストラリアにやって来てからの私は、家政婦になることも厭いませんでした。
こちらでは家政婦の年収が25ポンドから30ポンド、腕の良いコックの年収が35ポンドから40ポンドです。
仮りにも名目上、子守りよりは少しはましな家庭教師と名が付く若い女性が、たかが年に10ポンドばかりのお金のために苦労すると思うと情けなくなりますが、20ポンドといえば大金です」。